November 14, 2005
なぜ台湾に留学なのか?
最初は・・・
日本の友達に留学に行くといえば絶対に返ってくる答えがアメリカ、イギリス等の英語圏でした。
中国語にしても普通はまず、中国大陸を考えたりする。いったいどうして台湾を選んだのか?台湾との出会いはなんだったのか?
出会い
はじめて台湾と知り合ったのは1997年の夏でした。
つまらない日常生活から抜け出したかった当時の僕は何もわからないままに、何かを求めアメリカへ約1ヶ月短期留学で行くことを決めた。
最初に訪れたサンフランシスコで最初に友達になった外国人が台湾人で、まさかここまで日本のことを知ってるかってぐらい日本の知識があって驚いた。
小室ファミリー全盛期の97年。安室奈美恵などのアーティスト、音楽業界、トレンディドラマやバラエティなどのテレビ業界。
なぜ彼ら台湾人はここまで詳しいのかってことでまず興味がわいたのだった。
今から考えるとそんな答えは簡単だった。台湾でTV、音楽、日本のメディアの浸透度がすごいからだ。
しかし、当時の僕は恥ずかしいぐらい台湾を知らなかった。
台湾がどこにあってどんな国なのかすらさえ知らなかった。
地図を書いてもらって初めて”あ〜そんなとこにもなんかあったね〜”ぐらいの印象しかなかったのである。
台湾人と会って自己紹介の時に自分の名前のマサヒロと言うと、H2(あだち充の野球漫画)のヒロと同じだね。と言われ、日本人の自分よりも日本のことを知っていることに驚いた。
サンフランシスコで2週間が経過した後、ニューヨークでまた2週間学校通い。
偶然にもルームメイトが台湾人だったことがきっかけで、台湾人の友達がたくさん増えた。
たぶんその頃からだろう、台湾に興味を持ったのは。
帰国後
日本へ帰国後も、同じ思い出を共有した仲間達との連絡は途絶えなかった。
日本人はもちろん、台湾人、韓国人とも手紙のやりとりが続く。
しかし、問題は言葉だ。英語のできない自分はいったいどうやって連絡をとるのか?ジェスチャーももちろん手紙では通じない。
今のようにE−mailやパソコンがあるわけでもなかったし、便利な翻訳機能なんかももちろんない。
連絡をとる為には、英語を勉強するしかなかった。
こうしてバカだった自分は英語の必要性を感じとり、勉強を始めたのであった。
初台湾
あれから約2年がたった1999年3月。
僕は目標もなく、ただなんとなく毎日を生きているそこらへんの野郎だった。
自分で貯めた金を持って、長く連絡が途絶えなかった台湾人の友達に会いに、ついに台湾初上陸。ビザなしぎりぎりの約2週間滞在することに。
親切な台湾人の友達の助けもあり、普通の旅行では味わえないだろう台湾を知ることができた。
始めて訪れた一日目、中正空港で友達が出迎えてくれて感動。
そのまま友達の車で観光して、台北に向かい、士林夜市へ。
初めての夜市を見た僕は台湾人達のパワーに驚いた。
くそ暑い中で大きな火を使い飯を作る人達。
汗だくになりながら食べる人達。
すべてが新鮮だった。
さらに半年が経った9月にも来台しさらに台湾を知る。
たぶん、この時点で人生の舞台となることが決まっていたのであろう。
日本に帰ってから
日本に帰ってから台湾留学の資料をありったけ集める。
この頃になるとパソコンも普及しており、我が家にもあったため、ネットを徹底的に利用した。
そして、台湾に住む手段として語学留学をすることに決めた。
ちょうどその頃にネットで出会ったのが後先相当お世話になる祐介こと”ゆーじえ”だった。
共に目的も年齢も違うものの、語学留学するという共通の点があり、情報交換を始める。
当時の台湾関係のホームページを探してもなかなか留学情報が見つからない。
あっても現地の大学の語学センターのホームページにリンクしてあって、英語でしか説明がされていない。
やはり簡単に調べられたのが師範大学。それ以外の大学付属語学センターを探すのはかなり時間がかかった記憶がある。
結果的に見つかったのが師範大学、淡江大学、政治大学、輔仁大学。
今は名前も忘れたが、とある掲示板で師範大学の悪い部分がたくさん書かれてあった。
なにやら日本人が多すぎて日本人社会ができあがるとのこと。
できれば環境のいい所で勉強したかった僕は政治大学に目がいった。
1クラスの人数で比較してみても、師範大の10数人に対して政治大は最高7人なので勉強がしやすいと思ったからだ。
もともと初めて台湾に行った時にある程度大学のリサーチはしていたが、結局、台湾での知名度、国立でNo、2という実績から安易に政治大学に決定した。
ちょうどその頃、ゆーじえも同じような考えで政治大学に決定したとのメールがあった。
そうと決まれば申し込みの資料集めに走り、高校へ行って卒業証明や成績表をもらったり、推薦状を書いてもらったり、病院で健康診断したりと大変だったのは台湾に留学した人ならおわかりでしょう。
年が明けた2000年1月には資料が全部揃い、提出。
3月末に入学許可証が届いた。
6月入学が決定し、出発の前日まで金稼ぎの毎日でとっても忙しかった。
その後は台湾日記を見ていただいてもおわかりのように、とても充実した台湾生活を送っていました。
日本の友達に留学に行くといえば絶対に返ってくる答えがアメリカ、イギリス等の英語圏でした。
中国語にしても普通はまず、中国大陸を考えたりする。いったいどうして台湾を選んだのか?台湾との出会いはなんだったのか?
出会い
はじめて台湾と知り合ったのは1997年の夏でした。
つまらない日常生活から抜け出したかった当時の僕は何もわからないままに、何かを求めアメリカへ約1ヶ月短期留学で行くことを決めた。
最初に訪れたサンフランシスコで最初に友達になった外国人が台湾人で、まさかここまで日本のことを知ってるかってぐらい日本の知識があって驚いた。
小室ファミリー全盛期の97年。安室奈美恵などのアーティスト、音楽業界、トレンディドラマやバラエティなどのテレビ業界。
なぜ彼ら台湾人はここまで詳しいのかってことでまず興味がわいたのだった。
今から考えるとそんな答えは簡単だった。台湾でTV、音楽、日本のメディアの浸透度がすごいからだ。
しかし、当時の僕は恥ずかしいぐらい台湾を知らなかった。
台湾がどこにあってどんな国なのかすらさえ知らなかった。
地図を書いてもらって初めて”あ〜そんなとこにもなんかあったね〜”ぐらいの印象しかなかったのである。
台湾人と会って自己紹介の時に自分の名前のマサヒロと言うと、H2(あだち充の野球漫画)のヒロと同じだね。と言われ、日本人の自分よりも日本のことを知っていることに驚いた。
サンフランシスコで2週間が経過した後、ニューヨークでまた2週間学校通い。
偶然にもルームメイトが台湾人だったことがきっかけで、台湾人の友達がたくさん増えた。
たぶんその頃からだろう、台湾に興味を持ったのは。
帰国後
日本へ帰国後も、同じ思い出を共有した仲間達との連絡は途絶えなかった。
日本人はもちろん、台湾人、韓国人とも手紙のやりとりが続く。
しかし、問題は言葉だ。英語のできない自分はいったいどうやって連絡をとるのか?ジェスチャーももちろん手紙では通じない。
今のようにE−mailやパソコンがあるわけでもなかったし、便利な翻訳機能なんかももちろんない。
連絡をとる為には、英語を勉強するしかなかった。
こうしてバカだった自分は英語の必要性を感じとり、勉強を始めたのであった。
初台湾
あれから約2年がたった1999年3月。
僕は目標もなく、ただなんとなく毎日を生きているそこらへんの野郎だった。
自分で貯めた金を持って、長く連絡が途絶えなかった台湾人の友達に会いに、ついに台湾初上陸。ビザなしぎりぎりの約2週間滞在することに。
親切な台湾人の友達の助けもあり、普通の旅行では味わえないだろう台湾を知ることができた。
始めて訪れた一日目、中正空港で友達が出迎えてくれて感動。
そのまま友達の車で観光して、台北に向かい、士林夜市へ。
初めての夜市を見た僕は台湾人達のパワーに驚いた。
くそ暑い中で大きな火を使い飯を作る人達。
汗だくになりながら食べる人達。
すべてが新鮮だった。
さらに半年が経った9月にも来台しさらに台湾を知る。
たぶん、この時点で人生の舞台となることが決まっていたのであろう。
日本に帰ってから
日本に帰ってから台湾留学の資料をありったけ集める。
この頃になるとパソコンも普及しており、我が家にもあったため、ネットを徹底的に利用した。
そして、台湾に住む手段として語学留学をすることに決めた。
ちょうどその頃にネットで出会ったのが後先相当お世話になる祐介こと”ゆーじえ”だった。
共に目的も年齢も違うものの、語学留学するという共通の点があり、情報交換を始める。
当時の台湾関係のホームページを探してもなかなか留学情報が見つからない。
あっても現地の大学の語学センターのホームページにリンクしてあって、英語でしか説明がされていない。
やはり簡単に調べられたのが師範大学。それ以外の大学付属語学センターを探すのはかなり時間がかかった記憶がある。
結果的に見つかったのが師範大学、淡江大学、政治大学、輔仁大学。
今は名前も忘れたが、とある掲示板で師範大学の悪い部分がたくさん書かれてあった。
なにやら日本人が多すぎて日本人社会ができあがるとのこと。
できれば環境のいい所で勉強したかった僕は政治大学に目がいった。
1クラスの人数で比較してみても、師範大の10数人に対して政治大は最高7人なので勉強がしやすいと思ったからだ。
もともと初めて台湾に行った時にある程度大学のリサーチはしていたが、結局、台湾での知名度、国立でNo、2という実績から安易に政治大学に決定した。
ちょうどその頃、ゆーじえも同じような考えで政治大学に決定したとのメールがあった。
そうと決まれば申し込みの資料集めに走り、高校へ行って卒業証明や成績表をもらったり、推薦状を書いてもらったり、病院で健康診断したりと大変だったのは台湾に留学した人ならおわかりでしょう。
年が明けた2000年1月には資料が全部揃い、提出。
3月末に入学許可証が届いた。
6月入学が決定し、出発の前日まで金稼ぎの毎日でとっても忙しかった。
その後は台湾日記を見ていただいてもおわかりのように、とても充実した台湾生活を送っていました。



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