はじめに
March 22, 2006
祝!Yahoo!Japanに登録されました
PeaceTaiwanがYahoo!Japanに登録されました

PeaceTaiwanブログ版リニューアルから3ヶ月が経ちました。
3年前に一度登録願いを出して却下されて以来気に留めていなかったのですが、Yahoo検索からのアクセス数が断トツに多いことに気づき、登録願いを出してみたらなんと3日後に承諾のメールが来てしまいました。
Yahoo!Japanというとご存知、日本最高峰の検索サイトです。
Yahooに登録されるということはどれだけ難しいことかサイト管理者ならご存知かと思います。
今まで以上、新しい人に当サイトを見てもらえることは大変光栄なことであると同時に、当サイトがYahoo!Japanの厳しい審査を通過したということが自信にもつながります。
おかげさまで、PVのほうも今月は既に12,000アクセスを超えており、過去最高の伸びとなりました。
これからも時間の許す限り台湾の情報をお伝えしていきますので、今後ともよろしくお願いします。
カテゴリ登録ページ:
トップ > 地域情報 > 世界の国と地域 > 台湾 >旅行、交通
3月16日には「Yahoo!サーファーのオススメ」にもご紹介していただきました。
トップ > エンターテインメント > クール > Yahoo!サーファーのオススメ >

PeaceTaiwanブログ版リニューアルから3ヶ月が経ちました。
3年前に一度登録願いを出して却下されて以来気に留めていなかったのですが、Yahoo検索からのアクセス数が断トツに多いことに気づき、登録願いを出してみたらなんと3日後に承諾のメールが来てしまいました。
Yahoo!Japanというとご存知、日本最高峰の検索サイトです。
Yahooに登録されるということはどれだけ難しいことかサイト管理者ならご存知かと思います。
今まで以上、新しい人に当サイトを見てもらえることは大変光栄なことであると同時に、当サイトがYahoo!Japanの厳しい審査を通過したということが自信にもつながります。
おかげさまで、PVのほうも今月は既に12,000アクセスを超えており、過去最高の伸びとなりました。
これからも時間の許す限り台湾の情報をお伝えしていきますので、今後ともよろしくお願いします。
カテゴリ登録ページ:
トップ > 地域情報 > 世界の国と地域 > 台湾 >旅行、交通
3月16日には「Yahoo!サーファーのオススメ」にもご紹介していただきました。
トップ > エンターテインメント > クール > Yahoo!サーファーのオススメ >
March 20, 2006
クラブ徹底攻略【はじめに】
台湾のクラブ徹底攻略【はじめに】
メジャーなナイトスポットとなった台北のクラブ
以前、クラブと言うと一部の人しか興味がなかったり、ドラッグが蔓延していたりとマイナスイメージが少なからずありましたが、ここ最近は若者から大人の間でオシャレなナイトスポットとして利用される機会が多くなりました。
その背景にはおそらく台北の主流クラブの大型化、そして社会的認識度が高まり、クラブ開場でコンサートやファッションショー、果ては各企業と提携して商品発表のイベントなどを開催することにより、人々の中でイメージアップされた事が要因と思います。
現地の大学生や社会人の間でも以前はレストランで誕生日会や祝賀会などを行っていましたが、クラブのVIPボックス席を貸切って誕生日会などのPartyをするのが主流となっています。
以前、台湾人(大学生)の友達の誕生日会がLUXYであったのですが、上層階のVIPフロア15テーブルを貸切って盛大に行われました。
その総額約15万元。日本円にして約50万円です。
確かに物価からしてもクラブの料金はかなり割高で、その額は日本よりも高いところが何店もあります。
実際、週末となるとほとんどのクラブのVIPボックス席は予約で満席になっていて、席を確保するなら1週間以上前に予約しないといけません。
では、なぜ高価なクラブにお金を使うのでしょうか?
場の雰囲気や空間を楽しむなどの主な理由に加え、台北におけるナイトライフの選択肢の少なさが関係していると考えられます。
現地の友達に聞いてみても、ナイトライフの選択肢は「夜市などで食事」「カラオケ」がほとんどで、少数派として「マージャン」「バスケ」「ビリヤード」「24時間営業の本屋で立ち読み」ぐらいしかあがってきません。
その少ない選択肢に加え大型化してオシャレになった「クラブ」が増え、学生から社会人の間で現在のクラブが支持されるようになったのでしょう。
○クラブ紹介においてのポリシー○
以前は台湾のクラブにおいて違法ドラッグの取引が頻繁に行なわれていましたが、警察の取り締まり強化と反ドラッグの社会的認識が高まったこともあり、今となってはほとんどのクラブが安全に営業していますが、南部のクラブや一部の地域でよく摘発されている様子をテレビでよく見ます。
ここで紹介しているクラブは比較的取り締まりも厳しく、セキュリティーチェックもしっかりしているところを厳選しています。
ドラッグを購入して警察に捕まった場合、以後、永久に台湾に入国できないのはおろか、法で裁かれます。
○台湾のクラブにおける注意事項○
台湾のクラブを始め、お酒が飲める場所ではパスポート、または写真付きの身分証明証がないと入場できないところがほとんどですので必ず持って行きましょう。
カメラは基本的に持ち込み禁止なクラブ(例:MOS)と可能なクラブに分かれています。むやみにフラッシュを使用するのは危険ですので自己責任で管理してください。
○台北のクラブの音楽に関して○
昔から現在まで台北のクラブの主流はHipHop/ロック系又はハウス/テクノ/トランス系に分かれています。
日本のクラブにうるさい人からすれば「なんじゃこのDJは?!?」と思うぐらい同じ曲や超流行の曲ばかり流しています。
しかも、どこのクラブに行っても流れている曲は同じようなものばかりですので、こだわりのある人はあまり期待しないで行ってください。
○年代別台北クラブランキング○
各年で人気のあったであろうクラブランキングを独断と偏見で製作しましたので、参考にしてください。
2001年
1位:Kiss La Bocca(CLOSED)
2位:TU
3位:2F(CLOSED) / SPIN(CLOSED) / 151
2002年
1位:PLUSH
2位:TU
3位:ROOM18
2003年
1位:B1
2位:PLUSH
3位:ROOM18
2004年
1位:MOS
2位:PLUSH
3位:LUXY / B1
2005年
1位:LUXY
2位:MOS
3位:ROOM18 / CLUB70(CLOSED) / PLUSH / VS
メジャーなナイトスポットとなった台北のクラブ
以前、クラブと言うと一部の人しか興味がなかったり、ドラッグが蔓延していたりとマイナスイメージが少なからずありましたが、ここ最近は若者から大人の間でオシャレなナイトスポットとして利用される機会が多くなりました。
その背景にはおそらく台北の主流クラブの大型化、そして社会的認識度が高まり、クラブ開場でコンサートやファッションショー、果ては各企業と提携して商品発表のイベントなどを開催することにより、人々の中でイメージアップされた事が要因と思います。
現地の大学生や社会人の間でも以前はレストランで誕生日会や祝賀会などを行っていましたが、クラブのVIPボックス席を貸切って誕生日会などのPartyをするのが主流となっています。
以前、台湾人(大学生)の友達の誕生日会がLUXYであったのですが、上層階のVIPフロア15テーブルを貸切って盛大に行われました。
その総額約15万元。日本円にして約50万円です。
確かに物価からしてもクラブの料金はかなり割高で、その額は日本よりも高いところが何店もあります。
実際、週末となるとほとんどのクラブのVIPボックス席は予約で満席になっていて、席を確保するなら1週間以上前に予約しないといけません。
では、なぜ高価なクラブにお金を使うのでしょうか?
場の雰囲気や空間を楽しむなどの主な理由に加え、台北におけるナイトライフの選択肢の少なさが関係していると考えられます。
現地の友達に聞いてみても、ナイトライフの選択肢は「夜市などで食事」「カラオケ」がほとんどで、少数派として「マージャン」「バスケ」「ビリヤード」「24時間営業の本屋で立ち読み」ぐらいしかあがってきません。
その少ない選択肢に加え大型化してオシャレになった「クラブ」が増え、学生から社会人の間で現在のクラブが支持されるようになったのでしょう。
○クラブ紹介においてのポリシー○
以前は台湾のクラブにおいて違法ドラッグの取引が頻繁に行なわれていましたが、警察の取り締まり強化と反ドラッグの社会的認識が高まったこともあり、今となってはほとんどのクラブが安全に営業していますが、南部のクラブや一部の地域でよく摘発されている様子をテレビでよく見ます。
ここで紹介しているクラブは比較的取り締まりも厳しく、セキュリティーチェックもしっかりしているところを厳選しています。
ドラッグを購入して警察に捕まった場合、以後、永久に台湾に入国できないのはおろか、法で裁かれます。
○台湾のクラブにおける注意事項○
台湾のクラブを始め、お酒が飲める場所ではパスポート、または写真付きの身分証明証がないと入場できないところがほとんどですので必ず持って行きましょう。
カメラは基本的に持ち込み禁止なクラブ(例:MOS)と可能なクラブに分かれています。むやみにフラッシュを使用するのは危険ですので自己責任で管理してください。
○台北のクラブの音楽に関して○
昔から現在まで台北のクラブの主流はHipHop/ロック系又はハウス/テクノ/トランス系に分かれています。
日本のクラブにうるさい人からすれば「なんじゃこのDJは?!?」と思うぐらい同じ曲や超流行の曲ばかり流しています。
しかも、どこのクラブに行っても流れている曲は同じようなものばかりですので、こだわりのある人はあまり期待しないで行ってください。
○年代別台北クラブランキング○
各年で人気のあったであろうクラブランキングを独断と偏見で製作しましたので、参考にしてください。
2001年
1位:Kiss La Bocca(CLOSED)
2位:TU
3位:2F(CLOSED) / SPIN(CLOSED) / 151
2002年
1位:PLUSH
2位:TU
3位:ROOM18
2003年
1位:B1
2位:PLUSH
3位:ROOM18
2004年
1位:MOS
2位:PLUSH
3位:LUXY / B1
2005年
1位:LUXY
2位:MOS
3位:ROOM18 / CLUB70(CLOSED) / PLUSH / VS
February 26, 2006
夜市徹底攻略【はじめに】
台湾の代名詞と言ってもいいぐらいPower溢れている夜市。
初めて台湾を訪れた時に行った夜市の雰囲気が気に入って以来、自分の足で数々の夜市をまわってきました。
先日、日本人旅行者が一番注目する台湾の観光地として「夜市」と「台北101ビル」が選ばれました。
このように「夜市」は台湾を代表する文化であり、同時に日本人旅行者にとって一番注目されている観光スポットとなっています。
PeaceTaiwanの「台湾の夜市徹底攻略」では、台湾全土から選び抜かれた各地を代表する夜市を徹底的に攻略しています。
1週間に1つの夜市をまわったとしても1年以上の期間が必要ですので、自分のお気に入りの夜市を探して行ってみてくださいね。
今回、夜市を攻略するにあたり参考にさせていただいた書籍が戸外出版社の「台湾夜市吃透透」です。
2001年発刊と情報が少し古いのが難点ですが、夜市の歴史的背景や人気のお店、地図など必要な情報が詰まっていますのでとっても役に立ちました。

参考資料:
夜市:戸外出版社「台湾夜市吃透透」
地図:電子地図網
初めて台湾を訪れた時に行った夜市の雰囲気が気に入って以来、自分の足で数々の夜市をまわってきました。
先日、日本人旅行者が一番注目する台湾の観光地として「夜市」と「台北101ビル」が選ばれました。
このように「夜市」は台湾を代表する文化であり、同時に日本人旅行者にとって一番注目されている観光スポットとなっています。
PeaceTaiwanの「台湾の夜市徹底攻略」では、台湾全土から選び抜かれた各地を代表する夜市を徹底的に攻略しています。
1週間に1つの夜市をまわったとしても1年以上の期間が必要ですので、自分のお気に入りの夜市を探して行ってみてくださいね。
今回、夜市を攻略するにあたり参考にさせていただいた書籍が戸外出版社の「台湾夜市吃透透」です。
2001年発刊と情報が少し古いのが難点ですが、夜市の歴史的背景や人気のお店、地図など必要な情報が詰まっていますのでとっても役に立ちました。

参考資料:
夜市:戸外出版社「台湾夜市吃透透」
地図:電子地図網
peacetaiwan at 00:30|この記事のURL
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November 15, 2005
SitePolicy
SitePolicy
サイト運営にあたってはシンプルで見やすいサイト作りを心がけています。
その為、アフェリエイトの広告等は現段階では考えておりません。
逆にドメイン維持費を支払っているので赤字運営です。(泣)
このサイトは応援して下さる皆様によって支えられています。
このサイトはリンクフリーですが、リンクの際にはできれば御一報下さい。
同時に相互リンクも受け付けておりますが、レスやメッセージをいただければ、独断と偏見で「Links」のサイドバーの中にこちらから貴方のサイトを追加させていただくこともございます。
トラックバックを除き、サイト内に記載されている文章及び画像の転載、無断使用は固く禁じます。
サイト運営にあたってはシンプルで見やすいサイト作りを心がけています。
その為、アフェリエイトの広告等は現段階では考えておりません。
逆にドメイン維持費を支払っているので赤字運営です。(泣)
このサイトは応援して下さる皆様によって支えられています。
このサイトはリンクフリーですが、リンクの際にはできれば御一報下さい。
同時に相互リンクも受け付けておりますが、レスやメッセージをいただければ、独断と偏見で「Links」のサイドバーの中にこちらから貴方のサイトを追加させていただくこともございます。
トラックバックを除き、サイト内に記載されている文章及び画像の転載、無断使用は固く禁じます。
November 14, 2005
なぜ台湾に留学なのか?
最初は・・・
日本の友達に留学に行くといえば絶対に返ってくる答えがアメリカ、イギリス等の英語圏でした。
中国語にしても普通はまず、中国大陸を考えたりする。いったいどうして台湾を選んだのか?台湾との出会いはなんだったのか?
出会い
はじめて台湾と知り合ったのは1997年の夏でした。
つまらない日常生活から抜け出したかった当時の僕は何もわからないままに、何かを求めアメリカへ約1ヶ月短期留学で行くことを決めた。
最初に訪れたサンフランシスコで最初に友達になった外国人が台湾人で、まさかここまで日本のことを知ってるかってぐらい日本の知識があって驚いた。
小室ファミリー全盛期の97年。安室奈美恵などのアーティスト、音楽業界、トレンディドラマやバラエティなどのテレビ業界。
なぜ彼ら台湾人はここまで詳しいのかってことでまず興味がわいたのだった。
今から考えるとそんな答えは簡単だった。台湾でTV、音楽、日本のメディアの浸透度がすごいからだ。
しかし、当時の僕は恥ずかしいぐらい台湾を知らなかった。
台湾がどこにあってどんな国なのかすらさえ知らなかった。
地図を書いてもらって初めて”あ〜そんなとこにもなんかあったね〜”ぐらいの印象しかなかったのである。
台湾人と会って自己紹介の時に自分の名前のマサヒロと言うと、H2(あだち充の野球漫画)のヒロと同じだね。と言われ、日本人の自分よりも日本のことを知っていることに驚いた。
サンフランシスコで2週間が経過した後、ニューヨークでまた2週間学校通い。
偶然にもルームメイトが台湾人だったことがきっかけで、台湾人の友達がたくさん増えた。
たぶんその頃からだろう、台湾に興味を持ったのは。
帰国後
日本へ帰国後も、同じ思い出を共有した仲間達との連絡は途絶えなかった。
日本人はもちろん、台湾人、韓国人とも手紙のやりとりが続く。
しかし、問題は言葉だ。英語のできない自分はいったいどうやって連絡をとるのか?ジェスチャーももちろん手紙では通じない。
今のようにE−mailやパソコンがあるわけでもなかったし、便利な翻訳機能なんかももちろんない。
連絡をとる為には、英語を勉強するしかなかった。
こうしてバカだった自分は英語の必要性を感じとり、勉強を始めたのであった。
初台湾
あれから約2年がたった1999年3月。
僕は目標もなく、ただなんとなく毎日を生きているそこらへんの野郎だった。
自分で貯めた金を持って、長く連絡が途絶えなかった台湾人の友達に会いに、ついに台湾初上陸。ビザなしぎりぎりの約2週間滞在することに。
親切な台湾人の友達の助けもあり、普通の旅行では味わえないだろう台湾を知ることができた。
始めて訪れた一日目、中正空港で友達が出迎えてくれて感動。
そのまま友達の車で観光して、台北に向かい、士林夜市へ。
初めての夜市を見た僕は台湾人達のパワーに驚いた。
くそ暑い中で大きな火を使い飯を作る人達。
汗だくになりながら食べる人達。
すべてが新鮮だった。
さらに半年が経った9月にも来台しさらに台湾を知る。
たぶん、この時点で人生の舞台となることが決まっていたのであろう。
日本に帰ってから
日本に帰ってから台湾留学の資料をありったけ集める。
この頃になるとパソコンも普及しており、我が家にもあったため、ネットを徹底的に利用した。
そして、台湾に住む手段として語学留学をすることに決めた。
ちょうどその頃にネットで出会ったのが後先相当お世話になる祐介こと”ゆーじえ”だった。
共に目的も年齢も違うものの、語学留学するという共通の点があり、情報交換を始める。
当時の台湾関係のホームページを探してもなかなか留学情報が見つからない。
あっても現地の大学の語学センターのホームページにリンクしてあって、英語でしか説明がされていない。
やはり簡単に調べられたのが師範大学。それ以外の大学付属語学センターを探すのはかなり時間がかかった記憶がある。
結果的に見つかったのが師範大学、淡江大学、政治大学、輔仁大学。
今は名前も忘れたが、とある掲示板で師範大学の悪い部分がたくさん書かれてあった。
なにやら日本人が多すぎて日本人社会ができあがるとのこと。
できれば環境のいい所で勉強したかった僕は政治大学に目がいった。
1クラスの人数で比較してみても、師範大の10数人に対して政治大は最高7人なので勉強がしやすいと思ったからだ。
もともと初めて台湾に行った時にある程度大学のリサーチはしていたが、結局、台湾での知名度、国立でNo、2という実績から安易に政治大学に決定した。
ちょうどその頃、ゆーじえも同じような考えで政治大学に決定したとのメールがあった。
そうと決まれば申し込みの資料集めに走り、高校へ行って卒業証明や成績表をもらったり、推薦状を書いてもらったり、病院で健康診断したりと大変だったのは台湾に留学した人ならおわかりでしょう。
年が明けた2000年1月には資料が全部揃い、提出。
3月末に入学許可証が届いた。
6月入学が決定し、出発の前日まで金稼ぎの毎日でとっても忙しかった。
その後は台湾日記を見ていただいてもおわかりのように、とても充実した台湾生活を送っていました。
日本の友達に留学に行くといえば絶対に返ってくる答えがアメリカ、イギリス等の英語圏でした。
中国語にしても普通はまず、中国大陸を考えたりする。いったいどうして台湾を選んだのか?台湾との出会いはなんだったのか?
出会い
はじめて台湾と知り合ったのは1997年の夏でした。
つまらない日常生活から抜け出したかった当時の僕は何もわからないままに、何かを求めアメリカへ約1ヶ月短期留学で行くことを決めた。
最初に訪れたサンフランシスコで最初に友達になった外国人が台湾人で、まさかここまで日本のことを知ってるかってぐらい日本の知識があって驚いた。
小室ファミリー全盛期の97年。安室奈美恵などのアーティスト、音楽業界、トレンディドラマやバラエティなどのテレビ業界。
なぜ彼ら台湾人はここまで詳しいのかってことでまず興味がわいたのだった。
今から考えるとそんな答えは簡単だった。台湾でTV、音楽、日本のメディアの浸透度がすごいからだ。
しかし、当時の僕は恥ずかしいぐらい台湾を知らなかった。
台湾がどこにあってどんな国なのかすらさえ知らなかった。
地図を書いてもらって初めて”あ〜そんなとこにもなんかあったね〜”ぐらいの印象しかなかったのである。
台湾人と会って自己紹介の時に自分の名前のマサヒロと言うと、H2(あだち充の野球漫画)のヒロと同じだね。と言われ、日本人の自分よりも日本のことを知っていることに驚いた。
サンフランシスコで2週間が経過した後、ニューヨークでまた2週間学校通い。
偶然にもルームメイトが台湾人だったことがきっかけで、台湾人の友達がたくさん増えた。
たぶんその頃からだろう、台湾に興味を持ったのは。
帰国後
日本へ帰国後も、同じ思い出を共有した仲間達との連絡は途絶えなかった。
日本人はもちろん、台湾人、韓国人とも手紙のやりとりが続く。
しかし、問題は言葉だ。英語のできない自分はいったいどうやって連絡をとるのか?ジェスチャーももちろん手紙では通じない。
今のようにE−mailやパソコンがあるわけでもなかったし、便利な翻訳機能なんかももちろんない。
連絡をとる為には、英語を勉強するしかなかった。
こうしてバカだった自分は英語の必要性を感じとり、勉強を始めたのであった。
初台湾
あれから約2年がたった1999年3月。
僕は目標もなく、ただなんとなく毎日を生きているそこらへんの野郎だった。
自分で貯めた金を持って、長く連絡が途絶えなかった台湾人の友達に会いに、ついに台湾初上陸。ビザなしぎりぎりの約2週間滞在することに。
親切な台湾人の友達の助けもあり、普通の旅行では味わえないだろう台湾を知ることができた。
始めて訪れた一日目、中正空港で友達が出迎えてくれて感動。
そのまま友達の車で観光して、台北に向かい、士林夜市へ。
初めての夜市を見た僕は台湾人達のパワーに驚いた。
くそ暑い中で大きな火を使い飯を作る人達。
汗だくになりながら食べる人達。
すべてが新鮮だった。
さらに半年が経った9月にも来台しさらに台湾を知る。
たぶん、この時点で人生の舞台となることが決まっていたのであろう。
日本に帰ってから
日本に帰ってから台湾留学の資料をありったけ集める。
この頃になるとパソコンも普及しており、我が家にもあったため、ネットを徹底的に利用した。
そして、台湾に住む手段として語学留学をすることに決めた。
ちょうどその頃にネットで出会ったのが後先相当お世話になる祐介こと”ゆーじえ”だった。
共に目的も年齢も違うものの、語学留学するという共通の点があり、情報交換を始める。
当時の台湾関係のホームページを探してもなかなか留学情報が見つからない。
あっても現地の大学の語学センターのホームページにリンクしてあって、英語でしか説明がされていない。
やはり簡単に調べられたのが師範大学。それ以外の大学付属語学センターを探すのはかなり時間がかかった記憶がある。
結果的に見つかったのが師範大学、淡江大学、政治大学、輔仁大学。
今は名前も忘れたが、とある掲示板で師範大学の悪い部分がたくさん書かれてあった。
なにやら日本人が多すぎて日本人社会ができあがるとのこと。
できれば環境のいい所で勉強したかった僕は政治大学に目がいった。
1クラスの人数で比較してみても、師範大の10数人に対して政治大は最高7人なので勉強がしやすいと思ったからだ。
もともと初めて台湾に行った時にある程度大学のリサーチはしていたが、結局、台湾での知名度、国立でNo、2という実績から安易に政治大学に決定した。
ちょうどその頃、ゆーじえも同じような考えで政治大学に決定したとのメールがあった。
そうと決まれば申し込みの資料集めに走り、高校へ行って卒業証明や成績表をもらったり、推薦状を書いてもらったり、病院で健康診断したりと大変だったのは台湾に留学した人ならおわかりでしょう。
年が明けた2000年1月には資料が全部揃い、提出。
3月末に入学許可証が届いた。
6月入学が決定し、出発の前日まで金稼ぎの毎日でとっても忙しかった。
その後は台湾日記を見ていただいてもおわかりのように、とても充実した台湾生活を送っていました。
November 13, 2005
ホームページの歴史
どうもみなさん、こんにちは。
今回は簡単にホームページの歴史をご紹介いていきます。
●Masa’sDreamTrip●

2000年7月7日に始まった「Masa’sDreamTrip」
アメリカへ短期留学したことから始まった台湾日記そして、旅全般に関わるコンテンツが中心です。当時、台湾関係のホームページが少なく、情報不足だったので、思いきって作ってみました。
日本から近くて遠い国、「台湾」をみんなに知ってもらうことがコンセプトでした。
●PeaceTaiwan●

2002年5月に「PeaceTaiwan」に名称変更し、まだまだ台湾関連のホームページが少ない中、夜市、クラブ情報、日本と台湾の文化、物価比較、娯楽新聞、日記など、自分なりには充実した内容で、そこそこの人気もありましたが、大学のほうが急激に忙しくなり、更新する心理的余裕が全くなく、やむなく更新を停止することになりました。
そして時を同じくして、台湾ビジネスのお話がホームページを通して舞い込んできましたので、そちらのほうへ力を注ぐこととなりました。
そのお話は後々していこうと思います。
●PeaceTaiwanブログ版●

2006年1月1日、学業のほうも落ち着き、やっと更新できる時間のゆとりができましたので、満を期して念願のブログを開設。
テーマは夜市、クラブ、旅行を中心とした「台湾総合情報」。
台湾を紹介したサイトで見ると、ここ数年で個人サイトが激減し、変わりに資金力と技術力のある企業の製作したサイトが主流となりました。
しかし、必要以上の情報が多すぎるため、実用的な情報が入手しにくくなったのも事実です。
個人サイトは企業が製作したサイトにはできない自由さを持っています。
その自由さで個人のニーズに答えていけるサイトを目標に製作していきます。
この3年の間でPeaceTaiwanの夜市特集やクラブ特集を見て、さらにプリントアウトまでして台湾へ留学へ来てくれた方も何人か出会いました。
やはり、サイト製作をしているとそれらの支えが動力となり、サイト製作へと導いてくれます。
この3年の間、数々の困難も出会いも別れもありました。
本当に今となっては懐かしく、有意義な思い出になっています。
卒業、就職を控えた今現在、このBlogが人との出会いにつながり、自分の将来につながればと思い、製作しております。
コンテンツ的にはまず、メインの夜市、クラブ関係を製作し、台湾芸能関係の裏話、台湾ビジネス、そして旅行関係と広げていく予定です。
いつのまにか2006年になりましたが、台湾関係最強のBlogを目指して更新していきますので、どうぞ末永くお付き合いください。
今回は簡単にホームページの歴史をご紹介いていきます。
●Masa’sDreamTrip●

2000年7月7日に始まった「Masa’sDreamTrip」
アメリカへ短期留学したことから始まった台湾日記そして、旅全般に関わるコンテンツが中心です。当時、台湾関係のホームページが少なく、情報不足だったので、思いきって作ってみました。
日本から近くて遠い国、「台湾」をみんなに知ってもらうことがコンセプトでした。
●PeaceTaiwan●

2002年5月に「PeaceTaiwan」に名称変更し、まだまだ台湾関連のホームページが少ない中、夜市、クラブ情報、日本と台湾の文化、物価比較、娯楽新聞、日記など、自分なりには充実した内容で、そこそこの人気もありましたが、大学のほうが急激に忙しくなり、更新する心理的余裕が全くなく、やむなく更新を停止することになりました。
そして時を同じくして、台湾ビジネスのお話がホームページを通して舞い込んできましたので、そちらのほうへ力を注ぐこととなりました。
そのお話は後々していこうと思います。
●PeaceTaiwanブログ版●

2006年1月1日、学業のほうも落ち着き、やっと更新できる時間のゆとりができましたので、満を期して念願のブログを開設。
テーマは夜市、クラブ、旅行を中心とした「台湾総合情報」。
台湾を紹介したサイトで見ると、ここ数年で個人サイトが激減し、変わりに資金力と技術力のある企業の製作したサイトが主流となりました。
しかし、必要以上の情報が多すぎるため、実用的な情報が入手しにくくなったのも事実です。
個人サイトは企業が製作したサイトにはできない自由さを持っています。
その自由さで個人のニーズに答えていけるサイトを目標に製作していきます。
この3年の間でPeaceTaiwanの夜市特集やクラブ特集を見て、さらにプリントアウトまでして台湾へ留学へ来てくれた方も何人か出会いました。
やはり、サイト製作をしているとそれらの支えが動力となり、サイト製作へと導いてくれます。
この3年の間、数々の困難も出会いも別れもありました。
本当に今となっては懐かしく、有意義な思い出になっています。
卒業、就職を控えた今現在、このBlogが人との出会いにつながり、自分の将来につながればと思い、製作しております。
コンテンツ的にはまず、メインの夜市、クラブ関係を製作し、台湾芸能関係の裏話、台湾ビジネス、そして旅行関係と広げていく予定です。
いつのまにか2006年になりましたが、台湾関係最強のBlogを目指して更新していきますので、どうぞ末永くお付き合いください。



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